DOORSアメリカツアーを終えて。
2012.11.13 Tuesday
怒涛の10月が過ぎ、11月1日〜10日まで、私と友人有志でやっているDOORSー心のドアを開く旅。というサイトで企画した海外ツアーを催行してきた。
去年のハワイ島に引き続いての海外ツアー。去年は私が企画して、ガイドとドライバーを全部やって、かなりオツカレだったので、今回は、現地不案内ということもあり、ロサンゼルスで旅行企画ツアーを行っているLa-Panアドベンチャーズとのコラボツアーで開催することに。
2010年の初め、DOORSのサイトをはじめるキッカケとなった友人ひろかっちとのセドナへの旅。そこから2年後、またセドナに行くことに。
そして今回はセドナだけでなく、モニュメントバレーと言われるナバホ族(ネイティブ・アメリカン)の聖地や、◯◯キャニオンと呼ばれるたくさんの渓谷(日本ではそれを総称してグランドサークルと呼んでいる)へ、アメリカの大地をひた走るドライブツアーとなった。
そのときの様子や行程の報告は、写真もあわせて別途DOORSのサイトやFacebookページでやっていくけれど、今回のこのブログはその番外編というか、ツアーの裏側にある思い、みたいなものをちょっと書いてみたいと思う。
グランドキャニオンの朝
今回のこの企画、去年から私は、DOORS相棒ひろかっちに、来年はセドナツアーをやる!!と宣言していて、彼女もそれを「いいねいいね!」みたいな感じで応援してくれていた。そのときは、彼女自身はこのツアーに参加するつもりはなかったし、私も、La-Panとコラボでやれば、特に問題ないと思っていた。
今年に入って日本に帰国していたLa-Panのいづみさんとも打ち合わせをして、11月初旬にやるからね!よろしくね!みたいな話もしていたし、そうこうしているうちに、ひろかっちも「私もこのツアー行きたいかも」と言い出して、もうやるきゃない、状態になっていた。
なのに、何故か私のエンジンが全然かからなかったのだ。
サイトにスケジュールと料金とを掲載して、人を募集しないと、ツアーは成り立たない。なのに、どうしてもそれがなかなか出来なかった。
9月初旬、「ツアーの件どうなってますかあ〜?」とLa-Panのいづみさんから連絡があっても、まだグダグダしている始末。ようやく9月の半ばになって、私のエンジンがかかりだした。そしてツアーの人員募集開始、一時締切まで2週間、という海外ツアー、10日間という日数を考えても、ツアー催行できるのか?かなりハードルが高いとおもわれるような状況になっていた。
「最悪、誰も申込されなかったら、自分たちで普通にLa-Panアドベンチャーズのツアー参加ってことで行こう」とすら話していたDOORSツアー。
けれど、この締切までに時間がないという状況すら、なんとなく必要なことのように思えていた。来るべき人がここにくる。今、ここに来る必要がある人だけが参加できることになっている、そう思えた。
そしてその結果、DOORS側は私を含め8名の参加、La-Panアドベンチャーズ側から2名+お手伝い2名の参加で、総勢14名、バン2台での想定よりも大人数でのツアーとなったのだった。
ツアーメンバーは、各自がここに来る理由、みたいなものを感じ、今だからこそ、参加したいと、ある種の決意を持って参加してくださっていることが、申込された段階で私が強く感じていたことだった。DOORSツアーだからこそ、実現できること、があると私も思った。
もちろん、これは楽しい海外ツアーであって、別にワークショップとかセッションとかでは全然ない。でも、DOORSのコンセプトは「心のドアを開く旅」。
このツアーに参加することで、何かしらの変化を求めていたり、または本人がそう望まなくても、勝手にそれが起こる、それがわかっているからこそ、私はこのツアーをやりたいと思ったし、それは主催者である私自身にも言えることだった。
アメリカの大地を走る貨物列車
このツアーの前に、私自身が整理したいことや準備したいことがあった。

それは、ここ数年ずっと持ち続けていた課題でもあり、もっと言えば自分の人生をやり直したいと思った10年位前、病気と向き合っていた頃からずっと取り組んできた、「自分らしい生き方とは何か?」という問いへの、ある種の答えや結論、みたいなものだったかもしれない。
ずっとずっといろんな形で、この問いとともに生きてきた。
いろんな試行錯誤をしてきて、たくさんの壁にぶつかり、傷だらけになりながら、それでも前に進んできた。もちろん今もその問いは変わらないし、これからもまだまだ行く先の道は、雑草だらけの荒いけもの道だろうとは思う。
けれど、なんとなくもう、自分はこっちの方向で行く、と決め、それ以外の要素をどんどん排除して生きていけるようになってきた。 その道のりにはたぶんいくつかのドアがあって、何度も自分はそのドアを思い切って開けて、新しい道を切り開いてきたのだと思う。
新しい世界は、もうすぐ目の前にあって、でもちょっとその前に、自分の中にある古い思考回路や細胞の奥に残っている記憶のカスみたいなものを、全部膿だししなくっちゃ、みたいなタイミングが今回のこのツアーとそのまわりの時間なのだと感じる。
でも、新しい世界の幕開けの直前は、ゲームキャラにおけるラスボスみたいなもので、結構厄介だったりもする。最後の「あがき」であり、夜明け前の闇のようでもある。

ガソリンスタンドの看板が好き
今回のツアーでは、私は完全に「見守る」役割に徹した。
旅の中で、みんなどんどんと自然の中で、最終的にはイキイキと輝いていっていたけれど、なかなか風邪が治らなかったり、いろんなネガティブな思いに引きづられそうになったりしている人も、いない訳ではなかった。
でも、私はそこに積極的に介入することはしなかった。
自分自身のことは、自分で解決するのが、何よりも大切なことだから。
私は、ファシリテーターとしても、そして個人として、また、セラピストとして、とにかく全ての役割において、今回のツアーでは、「その人の可能性を心から信じて、待つ」ということをやったのだと思う。そして、そのことこそが、私個人の今の課題でもあった。
すべてはうまくいっているし、何もかもが完璧な時間の流れのなかにいる。
そう信じきることが大事だった。
「◯◯だったらどうしよう」とか「あのときはああだったから、今回もこうなるんじゃないか・・・」とか、過去の経験からくる不安という魔物がちょっとでも取り憑いたら終わりだから、不安、なんて言葉は私の辞書にありません、位の勢いで、とにかく目の前の楽しい出来事に集中した。
昔はこれも下手くそで、すぐに不安の波がワサワサとやってきていたけれど、最近はだいぶ慣れてきて、以前ほどは溺れたりしなくなった。
今を生きる、ということを一番感じられるのが、旅だと思う。
目の前のことと、明日のことしか考えてないような、そんな状態。余計なことは何も考えられないし、考える必要もない時間。次から次へと新しい世界が飛び込んできて、それを味わって、はしゃいでいるうちに、すべてがうまく進んでいる。
ツアーの間じゅう、いろんな小さな奇跡がたくさん起こった。
いつもそうだけど、天気にも気温にも恵まれたし、セドナでは素晴らしいヒーラーや、ネイティブ・アメリカンの酋長さんとの不思議な出会いもあった。
ツアーメンバーの顔が、時間を経るごとにどんどん輝いてくるのが何よりもうれしいことだった。それぞれが、それぞれの場所、それぞれの時間の中で、必要な出来事に出会い、ひもがスルスルとほどけていくように動いているのを感じた。
セドナ・ベルロックからの景色
ツアーメンバーの内側にどんなことが起こったのか?
みんなと少しは部屋の中や飛行機の機内で話をしたけれど、本当のところはわからない。
けれど、確実に、私自身もまだ整理ができていないけれど、何か新しい風がまた吹いているはず。だってめちゃくちゃ楽しかったんだもん!!!
それってすごく大事なこと。この感覚は、絶対に忘れることなんて、できない。
だから、このツアーが、参加してくださった人全てにとってのこれからに繋がる何か、になっていけばいいな、と思うし、きっとそうなるだろうと、確信している。